未熟な甲虫の呟き

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多田銀銅山遺跡 その2

多田銀銅山遺跡 その1」の続きですー。

 青木間歩の入り口の写真にあるように、坑口の左脇から山へ登ることができ、少し上に行けば路頭掘りの跡が見られます。
 悠久の館で見た映像資料によると、過去に実験で坑道で煙をたいたところ、この路頭掘り跡からも煙が観測されたそうです。


 悠久の館からの道に戻り、北に80mほど歩くと、青木間歩の水抜通風穴跡を川の向こう側に見ることができます。木に隠れて見えづらいですが、写真の右から1/3ぐらいの所に写っています。


 更に山のほうへ進めば、日本鉱業(株)多田鉱山事務所跡がありました。土台の石積みだけが残っている感じですね。


 事務所跡から見える坂の上方には、岩肌が剥き出しになった場所が目立っていました。
 これも史跡の一つ、多田銀銅山の大露頭です。



 瓢箪𨫤の「𨫤」とは鉱脈のことです。瓢箪というのは、この北にある瓢箪間歩と同様に豊臣秀吉が由来となった名前なのかと思ったら、『生野鉱山の地質鉱床特に金銀鉱床について』という論文の10ページ目にも瓢箪𨫤という名前の鉱脈が記されていました。生野銀山も秀吉の直轄だった時期があるから、同じようにネーミングされたのかな? それとも、含有鉱物や地形などのなんらかの条件によって定義された「瓢箪」という一般的な鉱脈の呼び名が存在するのかな? 素人がピャッと調べた程度ではよくわかりませんでした。
 ちなみに、ここの瓢箪𨫤については、主な鉱石鉱物は、斑銅鉱・黄銅鉱・自然銀・輝銀鉱、その他の銀鉱物多田銀山の歴史と鉱物採集兵庫の山々 山頂の岩石より引用)、だそうです。

 大露頭のすぐ北側には、現在は立ち入り禁止の台所間歩がありました。


 そこから更に100mちょい北へ、鬱蒼と木々が茂る山の中へと道を進むと、先ほどちらりと名前を出した瓢箪間歩があります。やはり立ち入り禁止。




 ここから更に北へハイキングコースを辿り、道の駅いながわで家族と合流する、という手もあったんですが、暑いし飲み物も尽きたので、道を戻って悠久の館から山向こうの住宅地にあるイオンモール猪名川で、アイスでも食べながら迎えを待つことにします。

 途中、青木間歩のすぐ南にある金山彦神社に立ち寄りました。


 鳥居をくぐってすぐのところにある案内板。


 これは裏側から見た拝殿。なるほど懸崖造り。


 趣のある境内。休日だったので下の道はそこそこハイキング客が行き来していたけれど、ここは完全に無人でした。


 さて、悠久の館から600mほど道をくだったところ、道の脇に螺旋階段がありました。ワクワクするあまり写真を撮り忘れたのでストリートビューのスクショを貼りつけておきます(←リンクからグーグルマップに飛べるので、色んな角度から見てみてください)。

 ぐるぐると螺旋を二周し、渡り廊下を渡った先に更に上へ行く螺旋階段がもう一つ。こうやって山の急斜面を越え、住宅地の端っこに出るわけです。

 途中の渡り廊下には史跡案内板が二つありました。どうやらかつてこの真下を旧道が通っていたようです。この史跡の存在は完全にノーチェックだったから、偶然に感謝です。


 番所跡は木々がワッサーと茂っていてよく見えませんでした。


 三時間ちょっとの短い探索でしたが、楽しかったです!!
 資料保存も兼ねて写真をぺたぺた貼りまくったため、やたら長い記事になりましたが、お付き合いありがとうございました。
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