多田銀銅山は、兵庫県猪名川町にある産業遺構です。少し東に行けば大きな住宅地が広がっていて、比較的アクセスしやすい場所にありました。
たまたま家族がその隣の市に用事があり、行き道は「悠久の館」という資料館の前まで送ってもらうことができたので、楽々のスタートです。
銀山地区の入り口に立っている案内板。

悠久の館には鉱山の歴史についての説明があり、鉱物や道具などが展示されていました。同じような大きさの鉱石と普通の石が用意されていて、実際に手に取って比重の違いを確認することもできます。予想以上にしっかりと重さに違いがあって、「なるほどー」ってなってました。
展示室の片隅にはPCがあって、江戸時代に描かれた多田銀銅山の絵図を、地図に照らし合わせながら見ることができました。どうやら多田銀銅山には、現在一般見学者が確認できる間歩(まぶ:坑道の江戸時代の呼び名)のほかに更に四つほど間歩があったそうですが、今は近づくこともできないようです。
館内は原則撮影禁止。展示物によって一部例外的に撮影可の印があったけれど、個人的に「まぁ写真に撮るほどでもないかー」と思うものだったので、ここではカメラは使いませんでした。
代わりといってはなんですが、オリジナル絵葉書、四枚組200円を購入。施設管理費の足しにしていただければ……(入館料無料だったのです)。
悠久の館のすぐ裏を流れる野尻川(銀山川)の向こう岸には代官所跡があります。
写真は、展示室を出たところにある、対岸を臨んだ案内板。絵図の当該箇所が載っているのがありがたい。

で、実際に見える代官所跡はこんな感じ。解説がなかったら何が何だかさっぱりわからないところでしたね……。

悠久の館の、道を挟んだ反対側には、一段高い場所に駐車場と「悠久広場」がありました。
精錬所の跡地とのことで、広場の一角にレンガ造りの溶鉱炉の一部が復元されています。

これが、実際の煙道の跡。広場北側の斜面、フェンスの外側にひっそりと、これも解説が無かったらわからなかったに違いないです。

この説明板は数十センチの高さがある台の上にあって、写真を撮るのにちょいと苦労しました。さすがに台によじ登るわけにもいかないからね。

これも。上のよりは低い台だったけど、全文を写真に収めるのを諦めていますな……諦めがよすぎる。

さて、悠久の館前の道に戻って、山のほうへ。
これは、野尻川にかかる銀山橋を渡ってすぐの川縁にあった平炉跡。

更に進んで、唯一内部が一般公開されている青木間歩へ。

見学することができる坑道は昭和に掘られたものなので、歩きやすいです。

外の気温は25度だったけど、中は14度。

温度計のあった場所で、坑道は右手に折れます。
湿度が高くて奥のほうは靄って見えた……けど、写真だとあまりよくわからないのが残念。そこかしこから水が滴る音が聞こえてきて、何度か水滴を頭に受けてヒャッってなりましたw


隣接する江戸時代の手堀り坑道を、フェンス越しに垣間見ることができます。

これも、

これも、江戸時代の坑道。真ん中あたりに緑青が見えますな。

同じくフェンスの向こうに見える立坑を見上げて写真を撮った……んだけど、なにがなんだかよくわからんというね……。上からちょろちょろと水が流れ落ちてきています。

長くなったので、続きは次の記事に。